富士見太鼓保存会について

醤油樽から始めた練習

 富士見太鼓保存会は、昭和49年秋、富士見町内の20代・30代の若者10人を中心に結成されました。

結成当時は、太鼓もなく、廃業した自動車修理工場跡地で、使い古しの醤油樽を太鼓代わりに練習をしていましたが、翌年春、メンバー全員で資金を出し合い、念願の太鼓を購入。

 岡谷市の山田邦治先生ご指導のもと、毎週2回の練習を行い、本格的な活動が始まりました。

NHKホールを経て、夢の町民祭り開催へ

 昭和55年に開催された「全国勤労青少年の集い」では、長野県代表としてNHKホールでのオープニング演奏という晴れの舞台を経験。昭和53年からの10年間は、川崎市の市民祭りに招待されるなど、富士見町内に留まらず活動の場を広げて参りました。

 

 そして、結成10年目の昭和59年、地元商工会青年部等と協力し、メンバー全員の夢だった夏祭り『富士見OHKKO』の立ち上げに成功。今でも『富士見OHKKO』は、富士見町の町民祭りとして愛されています。

原邦晴氏を迎え、富士見太鼓は第2ステージへ

 精力的に活動してきた富士見太鼓保存会ですが、結成20年になる頃には、結成時のメンバーも減り、また活動のマンネリ化なども理由となって、次第に活動も鈍くなり、一時は会の存続も危惧されました。

 

 奇しくもそんな折、平成17年、岡谷市の太鼓店で修行をされた原邦晴氏が富士見町で「はら太鼓店」を開業。富士見太鼓保存会の指導もお願い出来ることになり、富士見太鼓保存会の第2ステージがスタートしました。

 

 原氏が諏訪地域の小中学校へ太鼓指導を行っていたこともあり、子どもたちがメンバーに加わり、練習を本格的に再開。徐々に活気を取り戻すと同時に、大人のメンバーも増え始めました。

 

 こうして、現在の老若男女入り乱れて演奏するスタイルが確立。

今では、年間50回程の出演をこなすほど、各方面より多くの出演依頼を頂くようになりました。

 

 そして、富士見太鼓保存会は、第3、第4ステージに向け、まだまだ進化し続けます。

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